出窓なもコラム第1回「アイドルは矛盾という落とし穴を見ずして、物語を歩いていかなくてはならない」

アイドルのポエトリープのメンバーとして活躍した出窓なもが、アイドルや推し活について語るコラム第1回。
アイドルだけでなく、ミスiD、メイド喫茶などを経験した彼女だからこと語れることを語ってもらう。

初回は、彼女がnoteにて書きバズった「アイドルは人生を狂わせ続けることで、オタクは4600円を払い続けることで、出会うはずのなかった運命を捻じ曲げて共に生きる」という記事に関して、セルフアンサーを書いてもらった。

著者:出窓なも

アイドルと出窓なも

こんにちは。
出窓なも(でまどなも)と申します。
定食屋さん、メイド喫茶、ミスiD、地下アイドル、などなど、わりと色々な場所で息をしてきました。
大学は1.5留して心理学部を出て、今は1年目社会人として働いております。
趣味は落ち込むことと考えあぐねることと文章を書くこと。


出窓なも

この度有難いことに新たに文章を書く場を頂いて、アイドルや推し活について語るのなら何より先にまず書かなければならないと脳裏に浮かんだことがあります。
ずっとどこかで、小さな罪悪感のように、引き延ばした返信みたいに、引っかかっていました。
この場をお借りして、私はまず、想定外に広まってしまったこの文章に補足を加えたいと思う。

(このコラムは下記の記事を読まなくても大丈夫な仕様になっておりますが、よろしかったら是非、読んでみてください)

note(ノート)

(2022年7月に書き始めた文章です)  まず。  「オタク」という呼び方はあなた方に対して多分したことがないし、…

これは、所属していたアイドルグループ「ポエトリープ」が解散してしまったあと投稿した文章だ。

客観的に見れば、まあ、「鳴かず飛ばず」の1年5ヶ月だったのかもしれない。
妹グループとして作られ姉グループより先に解散して、ワンマンライブは1回だけ。

それでも、ステージに立ったあの時間は自分の中でとても尊いものだ。
アイドルを目指していたわけではない。
流されてなんとなくアイドルになってしまった。


ポエトリープとして活動していた出窓なも

しかし、アイドルが好きで焦がれていたのは事実だ。
便所飯をしていた高校時代、iPhone付属の有線イヤホンで聴いた「みんなのこどもちゃん」にどれだけ救われただろう。
「レッツポコポコ」も好きだったし、「ゆるめるモ!」も好きだった。「tipToe.」も大好きだった。
当時サブスクにすら入っていなかった私は、ひたすらYouTubeで MVやライブ動画を流していた。
バイトを親に禁止されて、月5000円のお小遣いで交通費から靴下まで賄わなければならなかった私には、ほんの少しの余裕もなかったのだ。

そう。私は「在宅オタク」だった。

「アイドルは人生を狂わせ続けることで、オタクは4600円を払い続けることで、出会うはずのなかった運命を捻じ曲げて共に生きる」なんて言いながら、己は4600円なんてとても払えず、和式トイレの隅で、暗い部屋で、放課後の屋上で、ひたすら無料のコンテンツを享受していただけ。

「アイドルは新卒カードとかキャリアとか人生設計を狂わせて履歴書に書けない今を選択してアイドルで居続けて、オタクはライブの持ち時間25分と特典会の1分間に対してチケット代2500円とドリンク代600円とチェキ代1500円を支払いつづけて、本来交わるはずのなかった運命を歪めあって共に生きている」のであれば、私はその方程式のどこに位置していたのだろう。
私は、人生を狂わせてアイドルになってアイドルでいてくれていた彼女たちを、対価なしに不当にタダ喰いした寄生虫のような存在なのだろうか。

彼女たちの歌う言葉にあれだけ心震わせて涙を流したというのに、私は彼女たちと「共に生きて」いなかったのだろうか。

私はここで、きちんと語らなければならない。
画面越しにアイドルに救われていたあの日の私のために。
そして、同じような誰かのために。  

 

地下アイドルの世界には2つの文脈がある

結論から述べると、アイドル、ひいては地下アイドルの世界には、2つの文脈があるのだと思っている。

ひとつは、救いという物語。
もうひとつは、需要を供給で満たすというビジネス。


出窓なもの推しグループのひとつ、「みんなのこどもちゃん」のライブの様子

2つはときに、というか、しばしば、たいてい、相反するけれど、私たちは知らん顔をしてうまいことその橋を渡り続けなければならない。 
アイドルはしばしば告知ツイートで「遊びに来てね〜」と言う。
なるほど。よく考えられた発明品のようなワードだ、と思う。

救いという物語

メイドカフェに踏み入れることが「いらっしゃいませ」ではなくて「おかえりなさいませ」であるように、アイドルのイベント告知は「チケット買ってね」ではなくて「遊びに来てね」なのだ。
それは、それぞれの救済の物語の中での用語である。

だって、メイドさんに「いらっしゃいませ〜!おひとり様ですか?」、「うちはお通し代が……」なんて小慣れた様子でスラスラ言われたくないじゃない。
私たちはメイドさんの「萌え萌えきゅん♡」なおまじないにかかるためにお屋敷にご帰宅するのだ。

本当に美味しいオムライスが食べたいんだなら「ポムの樹」とかに行く。
私たちはまさしくオムライスに込められた愛とか魔法にお金を払っているのだから、そのレンチンオムライスが1500円の対価として相応かなんて考えることなく美味しく頬張る。
アイドルもメイドも全部おんなじなんだろう。
私たちは救済という物語の登場人物になって、そこでの言葉を使ってそこに相応しい振る舞いをする。 

と考えれば、それはそのまま宗教に書き換えられるかもしれない。
宗教とは、仏教もキリスト教もイスラム教も、ある視点から切り取れば、いずれも「救済という物語」だと言える。

私たちはアイドルという偶像を中心に、ある種の宗教世界を創り出している。
そこには独自の祈りの言葉が存在して、独自の規律が存在する。独自の歌を歌って独自の儀式を執り行う。
かつてカトリック教会が免罪符を売って金を作っていた時も、信者たちは支払う対価の行方を見て見ぬふりをして、教会が用意した救済という物語に乗っていたのかもしれない。

手渡すその対価をしっかり数えてしまったら、救済という物語は途端に崩れてしまうから。
救済という物語を持つものはどれも危うく脆い。 

需要を供給で満たすというビジネス

「やもめの献金」という聖書のエピソードを思い出す。
チャペルのある学び舎で育った私には、ことあるごとにキリスト教を引っ張り出す癖がある。
賽銭箱に現金を入れていく人々の中に、銅貨2枚をそっと入れた貧しい女性がいた。
それは他の人に比べたら瑣末な額だったが、女性にとっては捧げられる全てだった。キリストはわざわざ弟子を集めて「あの貧しい女は誰よりもたくさん献金した」と言った。

キリスト教の救いにも、やはりこれまたお金という現実が必要だ。
宗教活動もある意味ビジネス的な側面を必要としていたりする。
そんな中で、やもめの差し出した額はやはりそれだけではどうしようもない程度のものだった。
それでも、キリストはビジネスという文脈では取り留めのないその存在を、見逃さずに掬い取った。
それは、宗教には救いという文脈が確かに存在するからだ。   

あの日の私は貧しいやもめだった。
何かを失ってお金も心も貧しくて、せいぜい銅貨2枚しか差し出せないようなやもめだった。
それでも、信仰は校舎の隅にいる私を照らしてくれた。
私という存在を置いてけぼりにせずに掬いとってくれた。 

私たちは、心や体や人生に、それぞれ何かを抱えている。
私たちが捧げられるものはそれぞれに違うし、必要な救いも違ったりする。

そうだね。
アイドルだった私は、どんなに小さなものでも全部ぜんぶ掬い取りたいと思っていたよ。
アイドルを辞めた後のあるインタビューで、ライブでの声出しについて、「もっと声出せ!行けんのか!なんて言ったことないし、やって欲しいとも思っていなかった。『声がでかい人が勝ち』なんて現実世界と同じじゃないですか。私たちそこから逃げてきたんじゃないの?って思う」と話した記憶がある。

お金もそう。
たくさん持っててたくさん払える人が一概に強くて正しいって、やっぱりそれは資本主義で成り立ってる現実世界でのざっくりとした一般論だ。
アイドルだってどうしたってビジネスで、どうしたってある程度以上のお金は必要なのは事実だけれど、でも、違うじゃん。それがしたいなら、それだけでいいなら私たちここで物語なんて始めてないじゃん。私たち出会わなくていいじゃん。って思ってた。

矛盾だ。

救いという物語にとって、ビジネスという現実はとても手強いしがらみでありジレンマである。
救いという物語は、ビジネスという現実を内包することで脆弱になる。
私たちはそこらじゅうにある矛盾という落とし穴を見ずして、物語を歩いていかなくてはならない。
穴に躓いてしまった瞬間、その魔法は解け始める。

だからアイドルは「遊びに来て」って言うし、オタクはアイドルが出番直前にバックれてもチケット代を請求しない。(これがまかり通るのはちょっとおかしいよな)

或いは。
矛盾も見つめながら、それごとまるっと包んで救うことって、救われることって、できないのだろうか。

もし私がアイドルだったら。
やもめも在宅も学生も地方民も、仕事が土日休みじゃない君も外に出るのが怖いあなたも、全部掬い取って矛盾の苦味も噛み締めて味わいながら掬いたい、救いたい、と思うよ。

 

拝啓 あの日の私

拝啓 あの日の私

アイドルに救われたあなたは、お金も時間も全然なかったけれど、数年経って、自分の持てるなけなしの全部を捧げて今度は自分がアイドルになります。
26分に4600円も払えなかった私だけれど、私のために泣いてくれるひと、私のために喜んでくれるひと、私のために祈ってくれるひと、私に救われたと言ってくれるひとに出会います。
26分に4600円も払ってくれているひとがいれば、それより遥かに多くの額で愛を示してくれるひともいれば、遠くからチェキを買ってくれる人もいれば、たくさんリプライを送ってくれる人もいる。

あなたが今持っているその罪悪感は正しいし、正しくない。
ちょっとした痛みも抱きしめて、でもちゃんと、救われていいんだよ。

あなたはアイドルに救われていいんだよ。

25歳、アイドルを辞めて社会人になった私より

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